てしかな、にしかな、

言わずもがなを言う

授業コメントにて「志望理由」

画面やキーボードを叩けば簡単に文字がうてる時代に、自分の手で、しっかりと私だけのフォントを紙に刻めるのはほくほく嬉しい。昔はよく鉛筆を握った手も、気づけばいつもスマホを握ってしまっている。「スマホを握るな」ではなく、「鉛筆を忘れるな」と思う。時代には抗わなくて良い。忘れないことは大切なんだ。何でも初心を忘れないことが大切だと伝えたくて、手で書くということをテーマにした自分の学科の会報誌を作った。自分がこさえたものを、違う人間が手に取るわけだ。自分の考えや言葉をモノに宿して伝えることの楽しさを知ったのは、この会報誌を作ったことがきっかけだった。


 私は京都の大学に通っていたが、生まれ育ったのは九州の大分県宇佐市という何もない田舎だ。洒落た商業施設がない。車もそれほど走ってない。吉幾三ではない。そんな大分と比べると、古き良き街・京都はとても都会だなと感じた。友達に会いによく東京に行っていたが、もうこれは別の国だなと思っていた。都会に行けば行くほど田舎者だと笑われるかもしれないな、いや、田舎者で悪いか!私は住みよいところでジッとしている人の何倍も、色んな人の暮らしを見て、生きた言葉を聞いて、美味しいものを食べ、珍しいものは何でもかんでも嗅いで触って生きてきた。確かに都会は便利で新しいモノに溢れていて、田舎は不便で古いモノが多い。でもその不便の中にあるコミュニケーションの温かさを知らずに生きているのなら、私はそれを笑ってやりたいと思うよ。

都会だって良いところはたくさんある。東京が好きだからわかるよ。でもビルのないところで見る夕焼けのオレンジを知っているか?稲を摘み取った後の匂いは?お散歩しているおばちゃんの謎の「おかえり」は?商店街のコロッケの安さは?都会にあって田舎にないものは、自然で、質素で、温かいんだ。どこか冷たい現代の忙しない街で、失われた温かい心豊かなモノたちが絶対にある。
だから私は将来、不便や手間という名にされ、取り払われてしまったコミュニケーションの大切さや古いモノの尊さを、会報誌だけじゃなくて色んなモノに込めて社会に伝えることができる人間になりたいと思った。色んな場所で色んな人、モノを見てきた私だけの新しい視点がたくさんあるはずなのだ。あると信じてるよ。この学科で、色んな角度から物事を捉える力をつけて、そして現代の社会において私はどう生き、何を生み出せばいいのかを考え抜きたい。お金を稼げる効率的なだけの社会ではなく、人のために不便や手間を厭わない社会を作るために、失われつつあるモノや暮らしにある愛おしさを現代に生きる人に思い起こさせる術を学びたい。学科のみんながテクノロジーを見据えた未来を、前を、まっすぐに見ている中でさえ私は、1人だけでも後ろを向いて進んでやりたいのだ。

 

いつか私を救ってくれたみんなへ、私がこれからつくる、あってもなくてもいいもの中に、くだらないものの中に、とことん逃げ込んで欲しい。シェルターになって私が守るよ。遠くから出てきて東京で暮らしているみんなも、嫌なことがあったみんなも、この家に来れば良い。みんなが平凡でちょっぴり特別な、そんな幸せな毎日を過ごせるように願っている。遍くみんなに覆い被さって生活を背負う、それは孤独だと岡本太郎は言うけれど、私は闘うよ。目に見えないもの全てが味方をしてくれているような、できっこないこともできてしまう心地がするような、そんな心をつくるから、待っていてほしい。それが私の誰にも譲れない、筋だ。

 

 東京での4年間は、暮らしも、仕事も、もちろん人間もガラリと変わる。新しさや便利に囲まれる。でもその中に古さや手間があったことを忘れない。初心を忘れない。私を作ってきた暮らしを忘れない。年の瀬に一生懸命みんなに書いた年賀状も、ただいまといってきますの代わりにあげたお線香も、家族が揃うまで待って食べたごはんも、ぜんぶ、ぜんぶ愛おしいと思う。当たり前なことなど何ひとつなかった。
この気持ちを忘れるまい。

 もしこの拙い必死な文章を読んでくれたあなたの心の中に、何か少しだけでも忘れかけていた愛おしさや温もりが蘇ったなら、私は何よりも嬉しい。嬉しいし、その温もりを忘れないでほしい。その忘れかけていた愛おしさこそが、私たちの暮らしを、心を、社会を、豊かに育むモノであるから。