てしかな、にしかな、

言わずもがなを言う

授業コメントにて「太陽の塔」

太陽の塔が好きだ。白い艶やかな肌に血のような赤の稲光を走らせ、私たちを抱きしめてくれるように堂々とそびえたつ太陽の塔が。

去年まで京都で学生生活をしていた私は、あの塔に会いに何度も阪急電車に揺られた。受験で辛いとき、何も上手く行かないとき、授業に遅刻したとき、太陽の塔を見ているだけでどうでも良くなれた。あんな大芸術の前では、私の悩みなど、本当にちっぽけなものに過ぎないと思えるのだ。

「ひろがることによって逆に根にかえって行く」。これは1967年に岡本太郎太陽の塔のアイデアスケッチに書いてあったことだ。今日の授業を聞いていた私の心には、太陽の塔岡本太郎の顔が浮かんでいた。自分が食べているものも、見えているものの色・形も、そして自分自身にも、歴史というものを持っている。全てのものが古代から脈々と進化した生き物たちの産物だ。そして私たちがそういった産物の中で生きているということはどれだけ進化したことなのかを考える授業なら、生命の樹のほんの枝先にいる私たちが、太い幹を顧みて根にかえっていくことそのものだと思ったからである。

 


1970年、終戦の靄がまだ綺麗に晴れ渡らない時代。もうあんな悲惨な争いは繰り返してはならないと人類の進歩・調和を全世界に伝える大阪万博にて、岡本太郎は進歩に中指をたてた。先進技術を自慢することも未来を礼賛することもなかった。世界中が前を向く中で彼はひとり過去を、人間の根源のはらわたを見ていた。穏やかなところから突出したものを元に戻すことが調和ではなく、突出したもの同士がぶつかって波が引いていくことが調和だと信じていたから、未来に過去をぶつけることで生まれる本当の調和が見たかったのだと思う。私は本当の調和の跡を目の当たりにした。塔の中で噴き上げる命のエネルギー、そして天井まで突き抜ける生命の樹。足のすくむようなパワーはもはや恐ろしさまであった。太陽、血、顔、そしてホモ・サピエンスに進化するまでの過程の生物たち。これらは全ての人類に共通する根源であった。世界中の人類の「なんだこれは!?」をかっさらって全てを根にかえらせたそのスケールに言葉もいらなかった。言語も常識も超越する力があそこにはある。芸術とはこれかと叩きのめされた。科学でなんでも解明される神聖な中核のなくなった世界でも、「ベラボー」な司祭は今もどっしりと大阪に、そして私の中にいる。

「ひろがること」は、決して悪いことではない。広がれば広がるほどに根源は偉大になる。新しいものが増えれば増えるほど、古いものが尊くなるように。

今日は初めての大学の授業だった。これから4年間、私たちはどんどん新しいものを取り込んで進化していく。成長していく。人は変わらないと生きてはいけないのだ。しかしこれまでの生活を忘れてはいけない。京都での生活、太陽の塔、なんで今ここにいるのか、そのそもそもの初心を忘れてはいけない。「自分のこれまで」は、「かえれる根」だと思うから。その根がどんどんと太く強くなって行く様を、葉の先からいつまでも眺めていたい。

「ベラボーでありながら毅然として突っ立っている、そういうものでありたい」。